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古今東西学生対決?!東の古代・西の中世!

 

 ここでは、古代東洋と中世西洋の学生、学問のレベルを単純に比較してみました。ただ、学問のレベルといっても簡単に紐解けるような事象ではないため、あくまでも「へぇ〜」とただ楽しんでいただけたらと思っております。

 

T.大学の成立前の西ヨーロッパ(10・11世紀頃)vs大学寮(JPN、8・9世紀)

 西ヨーロッパでは、ほとんどが聖職者で占められる少数の学者がごく初歩的な学問を行っていたに過ぎず、儒教経書の丸暗記・経義などを学習していた古代東洋の学生には太刀打ちでません。

 

U.コルドバ大学(ESP、10世紀頃創立)・グラナダ大学(ESP、14世紀頃創立)・ルネサンスvs科挙(CHN、7〜10世紀)・大学寮(8・9世紀)

 これらの大学では、上級になると、『コーラン』の注釈、神学、哲学、法学、科学、天文学、アラビア語文法、詩などの他に、辞書編纂法、歴史、地理などを学習していました。

 

@『コーラン』注釈には、科挙にも大学寮にも経書を扱う明経科があり、ここでも経書の経義・暗記などが行われており甲乙つけがたい状況です。

 

A西洋では神学・哲学といった哲学的、思想的な部分については、東洋では神学・哲学といったようには分かれておらず、儒家思想が東洋哲学の根底にありました。これについても、両者それぞれ相当思索が深く、判定は下しがたい状況です。

 

B法学はヨーロッパでは中心的な学問として盛んでしたが、東洋では実務的な学問はあまり高い位置付けでなく、儒教的な教養を第一と考える傾向があるためにヨーロッパほど盛んではなかったと考えられます。これはコルドバ・グラナダの方が勝っていると思います。

 

C科学、これについても上記と同様の理由で東洋ではあまり高い位置付けではなかったと思われ、ヨーロッパには敵わないと考えられます。

 

D天文学。これについては、16世紀のガリレオの地動説に代表されるヨーロッパにはさすがに東洋は敵わなかったでしょう。同様に暦学でも、イタリアでは紀元前から太陽暦(ユリウス暦)が採用されていたのに対し、東洋では太陰太陽暦が採用されておりその先進性からも東洋は劣っていたと思われます。

 

E言語(の文法)については、中国ではとりたてて学習の必要はないことは明白であり、日本においても仮名などはなく専ら漢文で文書作成していたため、簡単にはどちらが勝っているとは言えません。

 

F詩に関しては、その内容は別として東洋では複雑に韻を踏まなければならないためその複雑さから東洋に分があると言えるでしょう。

 

G地歴は比較するのが非常に難しく、なんとも言えません。

 

H東洋には辞書編纂法といったユニークなものはありませんでした。

 

V.サレルノの医学校(ITA、11〜13世紀)vs宮内省典薬寮(JPN、8・9世紀)

 中世ヨーロッパで最古の専門知識を授けた学校でしたが、専門知識といっても後の大学に見られる程のものではありませんでした。

 これに対し、典薬寮では小児科・耳鼻咽喉科・灸・按摩・整骨など様々なバリエーションがありました。よって、典薬寮に分があったといえるでしょう。

 

W.中世ヨーロッパの大学(11・12世紀頃)vs科挙(7〜10世紀)・大学寮(8・9世紀)

 神学・法学・哲学・文法はコルドバ・グラナダの場合のように決め難いものです。

 修辞についてはヨーロッパでは発達したようですが、東洋にも対句などといったレトリックがありこれも甲乙つけがたいです。

 算術については、東洋も古代トップクラスのものでしたが、あまり重視されなかったため、その上、時代が下った中世と比較しては中世に分があると言わざるを得ないでしょう。 音楽、これは皆さんの感性にお任せします。

 

X.総合的に

 ヨーロッパでは各学問がそれぞれ分かれていたのに対し、科挙では進士科、日本では方略試(国家試験の最難関のもの)などのように、歴史・詩作・政治や社会に対しての知識といった幅広いものが問われ、幅広く包括しているかという点では東洋が勝っていたと思われます。しかし、今日での「理系」的な専門性の高い分野では「年月」というアドバンテージによって西洋が大方勝っていたものと思われます。