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C寺子屋を卒業して…

寺子屋を卒業した後つまり14歳ごろにもなると、多くの人は大工・商売などの一般職に就いていました。ただその傍らにおいて学業を続ける人も多くいました。

そのような人達が入って勉強した教育機関は大きく分けて『藩校』『郷学』『私塾』の三つに大別できます。

ア)藩校

藩校は各藩が藩士の子弟教育のために設けた学校であって、そのため通学者の多くは

武士階級のものであったが、なかには庶民の子も入学して学んだ例もあるようである。

イ)郷学

郷学は藩の領内の庶民を教育するために、藩主や領主が設立したり、設立を補助した学校のことでその運営費用などは領内の資産家が担当したようである。

ウ)私塾

藩校は寺子屋と同様に幕府や藩から独立した今で言う「私立学校」のようなものであったといえます。また江戸時代後期になって寺子屋や私塾が隆盛してくると、武士の子供も

私塾に通うようになったためか藩や幕府がなんらかの干渉を与えるようになったようです。

 

ただ、このような教育機関は寺子屋を今の小学校のレベルであると例えてみると、

「藩校・郷学・私塾」は現在の高校または大学校にもせまるレベルの高さだったのです。

そういうこともあって寺子屋を卒業して、いきなり藩校に入学するということはかなり難しいことであると言えます。そのために藩校などに入学するためにもうひとつの塾、今で言う「予備校」に通うことが普通だったのです。

ここで例として数学に関して取り上げてみると、寺子屋でソロバンを習った程度では

数学塾に行くことはできなかったので、寺子屋と数学塾との間に中間的な存在として

そろばん塾に行くのがふつうでした。そこでは数学の心得のある師匠がソロバンを

教えたり、また和算の初歩を教える塾も存在していたようです。

和算修行の例として、有力な和算家(数学家)である萩原(はぎわら)(のぶ)(よし)が、学問を究めた者のみが伝授される免許を得るまでの経過を追ってみると、萩原は寺子屋を13歳で卒業した後、

5年間をソロバン塾に、その後もう5年間を漢学塾に行き、そして24歳になった時に

数学塾についに入学してそしてその10年後に免許を伝授されたのです。

こうしてみてみると数学塾に入るまでの修行期間である10間はかなり長く感じますが、

この人の場合は農家出身で父を幼年期に失っていたために、たとえ農閑期であっても昼間は労働に従事せねばならず勉学の方は専ら夜間になったという事実を考慮に入れて、一般的に見てみると修行期間は6〜8年くらいではないかと推測されます。

ただ当時の人口構成ではほとんどが農民だったので、この萩原氏のように多くの学者達は勉学を修めるのに多大な時間と努力と忍耐を費やしていたことを考えると、江戸時代において『藩校・郷学・私塾』に入ることがどれだけ困難であったかは現代の私たちの想像を絶することだったのです。