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教育の歴史2〜エジプト


エジプトの教育の間接的な源は古王国崩壊後の第1中間期の飢饉に見られる。古王国時代の崩壊の原因となった官僚の着服を二度と起こさせないためにも、王に忠実な官僚の育成が急務になった。

こうして作られた国立の役人養成所は日本では書記学校、現地語で「生命の館」と呼ばれている。edubba同様にこの学校も、図書館や写字室が付くなど、学士院的な性格を帯びていたことが判っている。
基本的にこの学校は民衆にも開かれていたが、一般の女子や下層民の子弟は教育を受けることができなかったようである。

←サッカラ出土書記座像

この学校はその存在意義が読み書きに習熟すること以上に、忠実な家臣・官僚の育成であったためか、道徳教育を重視する傍ら、科目は算術、幾何学、測量術、簿記、官庁書類作成と実用色が強かった。
時折、より忠実な家臣を育てるために、子飼い制度というものが実施されていた。そこでは驚くべきことに王子や、側近・有力豪族の子弟を生徒(当時は王の教え子と呼ばれていた)に、王自ら(!)が教鞭を執っていたのである。こうすると、2世代に渡って師、学友という形で家臣の忠誠を確保できるからである。

しかし、こうしたことはあくまで例外的であった。しかし、教員は神官、退役官僚、王族、大臣などと決して社会的地位は低くない人々が教鞭を執ったのも事実である。こうした教員の下、この学校は幾つかの専攻に分かれ、多くの特別教科を扱っていた可能性がある。ある医者の彫像の名文がそれを裏付けている。

生命の館医学専攻部門を再建するために………
彼らにその技術を確実となし得る全てのものを与え、
また著作にあらわされているあらゆる器具を供給した。

生命の館は学士院である傍ら、政治的役割も担っていた。暦の監修や王朝記録の保持、公的碑文の作成などである。国立学校であることをあらわす好例である。

一方、神殿も神官育成のための付属の学校をその境内に持っていた。この学校での科目は、生命の館とは逆に、宗教儀礼関係書の書写、宗教文学、葬祭経典、教典の注疏、神話物語の研究などと宗教色が強い。あえて日本の学制に当てはめるなら、前者が理系、後者が文系と言ったところだろうか。
他にも医学校や軍事学校などもあったらしいが、資料不足のため、ここでは割愛する。

これらの学校では、全体として暗記に重点が置かれた。その中でも特に重要だったのは難解な聖刻文字や神官文字である。これが書けないと、政府の役人として書き方を知って置かねばならない無限に近いエジプトの酒、パレスティナの酒、オアシスの酒、新鮮な肉、甘くした肉、料理した肉といった品物の名前に対応のしようがないからであろう。この教育システムは数百年間ほとんど変わらずに続いた。

教材には、パピルス以外に木板、石版、陶片を媒体とした書物やノートが用いられた。大まかに分けると次の3種類に分けられる。
 ・神話・処世訓:王族や聖賢によって書かれたものが多く、官吏育成のために創作されたものは、
  『忠誠の教え』『ある男の教訓』、そして書記以外の職業をけなし倒している『職業風刺』がある。
  これらはいずれも王に仕えれば恵まれた生活が、刃向かえば永遠の死が待ち受けていることばかりを強調し、
  説教臭くなっているきらいがある。
 ・ケミイト:文章の書き方、文書の作り方を示した教科書で、手紙の書き方の見本文さえ掲載している。
 ・オノマティカ:行政上重要な、地名・名前の書取に用いられた辞書。

教師は、怠けた生徒には鞭打ちや校内監禁を貸すこともできたが、その一方で現在に変わらぬ美しい師弟愛も見られたようである。

こういった暗記重視の教育は柔和で自制心の強い書記を輩出するのに貢献したが、その一方で、エジプト人の個性を矮小化し、数学や天文学の発展に支障を来すようになったのも事実である。

道徳教育については、教訓文学の書取+暗唱、体育としての水泳+武術といった形で行われ、どこか戦前の日本を思わせるところもある。

参考文献及び参考サイト

古代オリエント集

筑摩世界文学大系

杉勇、屋形禎亮

古代文明史2

みすず書房

ジャケッタ・ホークス

古代エジプトの物語

教養文庫

矢島文夫

古代エジプト

座右宝刊会 ライフ人間世界史

ライオネル・カーソン

古代エジプト語基本単語集

平凡社

西村洋子

参考サイト

遊学社Q&A

参考サイト

エジプト旅行記