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新大陸の教育


アステカの教育

アステカ族の教育様式は『メンドサの絵文書』によって伝えられている。
それによると、7〜14歳までは親元でしつけられ、15歳から公共の教育を受けたようである。アステカでの教育の目的とは、家族・宗教・国に対する義務を忠実に果たすような人間、すなわち「石の心を持つ者」の育成に置かれていた。

アステカの学校はテルポチカリ(「若者の家」)という名前で、カルプリという一種の地縁集団に属していた。
子供達は15歳で入学し、軍事・宗教・道徳・歴史を学んだが、文字は教わらなかった。恐らく、この難解な絵文字は専門の者のみがカルメカックで学んでいたのであろうと推測される。

生徒達は在学中、食事時だけは家に戻ったが、後の時間は全て校内で過ごした。夜寝るときも、学校に泊まって寝たらしいことが判っている。

数年後学校を卒業すると、彼らの大多数は家に戻ってくるが、神官や戦士になることを希望する者はカルメカックへ進学した。

カルメカックは各都市に存在し、多数の神官や戦士を輩出したが、必ずしも一般大衆に開かれていたわけではなかったようで、選ばれた若者――それも大部分が貴族の子弟――のみが入学を許され、8〜10年の学業を経て、ようやく一人前の戦士や軍の高官、神官や官吏になることが許されたようである。

そのほか、古代としては珍しく女子のための学校もあったとされているが、詳しいことは判っていない。


マヤの教育

マヤに関する文献の教育に対する言及は少ない。しかし、難解な絵文字を使いこなす書記が存在し、尊敬されていたのも事実なので、全く推測に過ぎないながら、ある程度はシュメールと似たような教育が行われていたのでは無かろうか。

確かなのは、大神官が他の神官の子供達や首長の第二子などに年・月・日の数え方、祭事と儀式、秘蹟の授け型、不吉な日や季節、占いの方法、病気の治療法、古事、および文書に文字として書かれている絵文字の書き方を教えていたらしいことである。

彼らに教わる生徒達は若い頃にそのためだけにつれてこられ、このことに優れていると思われたときにこういった学問を教わったらしい。

マヤでの教育とはむしろ、親が子にしつける場合の方が圧倒的に多かったようである。


インカの教育

インカの教育についても言及している資料は少ないが、大方は親から子へ行われたものと思われる。

いずれにしても、一般大衆を相手取った公的な教育はほとんど無かったようである。

ただし、被征服民の教化は広く行われていた。かれらは、被征服民をインカの風習になじませ、インカの支配を神格化していたらしいことインカ・ガルシーソ・デ・ラ・ベガ等が伝えている。

参考文献及び参考サイト                        
アステカ文明の謎 講談社現代新書高山智博
ユカタン事物記 岩波大航海時代叢書ランダ
ポポル・ヴフ 中公文庫(ビブリオ)レシーノス(原訳)
マヤ文字解読辞典 創元社マイケル・コウ+マーク・ヴァン・ストーン
インカ帝国史 岩波文庫シエサ・デ・レオン
インカ皇帝統記 岩波文庫インカ・ガルシーソ・デ・ラ・ベガ
参考サイト プントス・カルディナレス